【権現山】

標高617mの権現山山頂には鷹見岳城があったといわれていますが、第二次世界大戦中に 高射砲陣地を設置するためかなりの造成が行われており、明確な遺構は見当たりません。 ですが山頂近くの斜面には、築造時代不明の石垣が数箇所残されています。
【帆柱山】
標高488mの山頂には帆柱山城の主郭が築かれ、東西に延びる各尾根には数段の郭と堀切等 が築かれています。 また、西側尾根では標高350m付近に竪堀が築かれております。
【河頭山】
河頭山には多くの石碑などがあります。 忠孝碑は昭和13年、頭山満が来幡した時に揮毫した忠孝の書を中腹にある巨岩はまぐり岩 に刻んだものです。 木村壱岐守鑑邇顕彰碑は、熊手の庄屋木村家の先祖で天正14年太宰府の岩屋城で城主高橋 紹運と共に玉砕した木村壱岐守鑑邇の顕彰碑で、元首相広田弘毅の書によるものです。 宇都宮正顕翁碑も元首相広田弘毅の書によるもので、宇都宮正顕翁は幕末から明治にかけて 黒崎宿で肥州・薩州の定宿「桜屋」の主人をしていた人物です。 勤皇の志厚く、西郷隆盛、五卿などとも交友がありました。 雨乞いの碑は、名前の通り雨乞いが由来の石碑です。 明治11年6月の大干ばつの時、村人は周防の国に滞在していた名僧を招きました。 僧が河頭山に登って七日間の雨乞いをしたところ、ちょうど満願の七日目に雨が降り始め、 3日3晩にわたって降り続きました。 その後も明治26年8月、再び干ばつにみまわれたため僧を招き雨乞いをしたところ、今度 は3日目で大雨が降り出しました。 村人は大変感謝し、明治27年7月に僧が雨乞いをした場所に、南無阿弥陀仏を刻んだこの 石碑を建立しました。
【畑山】
畑山にある畑山城は標高154mと簡単に登れる山城で、畑貯水池の南側に位置し、貯水池 駐車場から歩くと便利です。 本丸は砕石の為に消滅していますが、二の丸と言われている尾根は残っています。